医療業界の現状とM&A活発化の背景
一般企業と同様に、医療業界でもM&Aが増加しています。
中小企業白書の調査によると、国内企業のM&A件数は、2000年の1,635件から2017年には3,050件と倍増しています。特に中小企業での増加が目立ち、経営者の高齢化や経営環境の厳しさが年々増していく中で、M&Aが課題解決の手段として認識されてきたと考えられます。
開業医の平均年齢は60歳を超え、帝国データバンクの2011年調査によると、無床診療所の90.3%が「後継者がいない」と回答しています。地域医療を守るという観点から、第三者への事業承継がより活発になることが期待されています。
また、新たに開業を希望する医師にとっても、事業承継は選択肢のひとつです。現在、日本では1年間の新規開業が約5,000件、廃業が約4,500件となっており、年間500件程度のペースでクリニックが増加しています。
少子高齢化にともなう社会保障費の増加もあり、政府は医療費を抑制しようとしています。新規開業には逆風が吹いているため、今後はリスクを抑えた承継開業が増えていくことが想定されます。
M&Aにおける売手のメリット
M&Aにおける売手のメリットは以下の3つです。
- 地域医療が継続される
- 営業権(のれん代)や出資持分の譲渡で対価を得られる
- 従業員が継続して雇用される
地域医療が継続される
1つ目のメリットは、地域医療が継続されることです。
多くの医師は、利益よりも医療を通じて地域や患者に貢献したいという想いでこれまで事業を続けてきたと思います。スムーズな事業承継の最大のメリットは、誰にも迷惑をかけずに引退できることです。
営業権(のれん代)や出資持分の譲渡で対価を得られる
2つ目のメリットは、営業権や出資持分譲渡などの対価が得られることです。
事業承継が無事に成功した場合、営業権や出資持分移転の対価を役員退職金などの形で現金化できます。これは、長年経営してきた事業に対する評価と感謝の気持ちといえます。
一方で、廃業を選択した場合は一定のコストが生じます。登記などの法的手続き、ローンやリースの返済、医療機器の廃棄、不動産の現状回復などがそれにあたります。
事業承継が可能であれば、多くのコストをかけずに、創業者利益を確保することができます。
従業員が継続して雇用される
3つ目のメリットは、従業員の雇用が継続されることです。
クリニックが閉院すると、通っていた患者は他の通院先を探さなければなりません。同時に、これまでに苦楽をともにしてきたスタッフも職を失い、退職金を支払わなければなりません。
また、これまで取引をしていた物品業者などもひとつの仕事を失うことになります。大きな視点で考えると、事業を譲渡できれば、地域経済への影響を最小限に抑えることができます。
M&Aにおける売手のデメリット
売手のデメリットは、患者や関係者への説明に手間と時間がかかることです。
事業承継の場合、M&Aアドバイザーや承継を希望する医師など、多くの関係者との交渉が必要になります。特に第三者承継の場合は、双方の利害を調整するのに時間がかかります。
もう1つ重要なポイントは、譲渡価格にあまり高い期待をしないことです。
長年築き上げてきた事業への愛着から、譲渡価格を高く見積もりたいと思う気持ちは理解できます。しかし、高すぎる譲渡価格は買い手の負担となり、最悪の場合、譲渡のタイミングを逃す結果となりかねません。
M&Aにおける買手のメリット
M&Aにおける買手の主なメリットは3つです。
- 初期投資を抑えることができる
- 一定数の患者が見込める
- スタッフが確保されている
初期投資を抑えることができる
1つ目のメリットは、初期投資を抑えられることです。
事業承継では、必要な設備が最初から用意されています。そのため、初期投資を抑えることができ、開業までの期間を大幅に短縮することができます。
固定資産などの設備は適正な価格で評価されるため、低コストでの取得が可能です。また、個人事業主であればのれんの償却、法人であれば役員の退職金など、税制面でのメリットも得られます。
経営権の取得には一定の資金が必要ですが、多くの場合、新規に一から事業を始めるよりも投資額は少なくて済みます。
一定数の患者が見込める
2つ目のメリットは、患者がついている状態でスタートできることです。
ある程度の患者が見込めるというのは大きなメリットです。患者を集めるためのマーケティングコストを最小限に抑えることができます。
新設クリニックでは、最初から多くの患者が来ることは稀で、少なくとも2年目までは赤字になります。最初から一定数の患者が見込めるのあれば、必要な運転資金も少なくて済み、事業の立ち上げも早くなります。
スタッフが確保されている
3つ目のメリットは、スタッフが確保されていることです。
事業承継では、基本的にスタッフを継続して雇用することができます。採用にかかる時間やコストを考えると、これらをお金で買ったともいえます。
特に地方では、看護師やOP・PTなどの専門スタッフの確保が難しくなっています。また、採用後の教育・研修費用を考えると、新規にクリニックを開設するよりも良いスタートを切ることが可能です。地域の患者や家族とのコミュニケーションが取れていることも、スムーズな引き継ぎにつながります。
M&Aにおける買手のデメリット
承継開業することは、初期投資を抑えることができる一方で、古い施設や医療機器を引き継ぐことになります。
そのため、事業価値だけでなく、固定資産等の価値も正しく評価・判断する必要があります。譲渡後に問題が発覚した場合、訴訟に発展する可能性もあります。
また、承継後の将来像を具体的にイメージしておくことも必要です。利益が出ているからといって、利益目的だけで事業を引き継ぐのは得策ではありません。承継後も利益を維持・発展させるためには、努力と工夫が不可欠です。
M&A成立までの手順
事業を第三者へ譲渡する際には、専門家などのアドバイスを受けながら、一定のプロセスを踏む必要があります。
M&Aではアドバイザー選びが特に重要なポイントになります。
税理士、弁護士、銀行、M&A仲介会社などが考えられますが、基本的には医療機関専門のコンサルティング会社をお勧めします。M&A仲介会社が適任と思われがちですが、唯一の弱点は買手を見つける能力が劣っている点です。
事業承継の場合、買手の大半は、開業を希望する勤務医となります。M&A仲介会社は勤務医との接点が少ないため、買手探しに苦労することが多いです。医療分野の会計・税務・法務などに精通した専門家に依頼することが望ましいでしょう。また、顧問の税理士や弁護士をコンサルタントとして迎え入れるのもひとつの方法です。
アドバイザーの主な業務
- 情報収集、調査、資料作成
- 事業価値の評価、M&Aスキームの検討
- 候補先の探索・選定
- 契約交渉
- 各種契約書等の作成
- その他M&A関連のアドバイザリー業務
アドバイザー決定後は、事業価値評価を行い、ノンネームシートを作成します。
事業価値評価のためには、3期分の財務内容やレセプト数の推移など、様々な情報を開示してもらう必要があります。あわせて、詳細なインタビューに基づく分析を行います。開示情報には厳重に管理されるべき個人情報が含まれるので、この点でも信頼できるアドバイザーを選ぶことが重要です。
開示情報は、事業価値が毀損する可能性があるものも含めて、正確に報告しなければなりません。これには、医療機器の故障歴、過去の医療訴訟、不正請求なども含まれます。このような情報は隠したいという気持ちも理解できますが、買手の調査によって隠していた事実が明らかになれば、M&Aの成立はおろか、訴訟に発展するケースも考えられます。売手にとって不都合な情報でも、最初から開示していたほうが、後の交渉がスムーズに進むことが多いです。
事業価値評価後は、ノンネームシートを作成します。ノンネームシートとは、クリニックを特定できない範囲に情報で、プロジェクトの概要を記したものです。
このシートは、買手候補を探す際に使用します。この段階で、買手の状況を想定し、いくつかの譲渡スキームを用意しておくと、より機動的な交渉が可能になります。
開示資料の例
個人事業の場合 |
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・確定申告書(3期分) ・月次試算表(当期分) ・レセプト資料(3年分) ・各種図面 ・開設者の履歴書 ・就業規則(給与規定や退職金規定など) ・従業員名簿・賃金台帳 ・各種契約書の写し |
医療法人の場合 |
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・定款 ・理事・社員名簿 ・決算書一式(3期分) ・月次試算表(当期分) ・レセプト資料(3年分) ・各種図面 ・代表者の履歴書 ・就業規則(給与規定や退職金規定など) ・従業員名簿・賃金台帳 ・各種契約書の写し ・保険証券の写し |
買手候補が見つかったら、いよいよマッチングです。
マッチングとは、譲渡人と譲受人が情報交換を始めることを意味します。
一般的には、買手候補とのミーティング前に秘密保持契約を締結します。公開する情報には、収支や資産状況などの機密情報が含まれているため、情報漏洩には細心の注意を払わなければなりません。特に、取引先や従業員に漏れてしまうと、あっという間に情報が広がってしまいます。
この段階では、事業承継の合意が得られないこともあります。必ず秘密保持契約を締結しましょう。
秘密保持契約締結後に実際に買手と面談をします。
買手が特に興味を持っている情報は「代表者の人柄」、「立地」、「収入・支出」の3つです。
最も重要な要素は人柄です。繁盛しているからといって、必ずしも評判が良いとは限りません。診療方針や経営理念に買手が共感できるかどうかが重要です。
次に考慮すべきは立地です。クリニックの立地条件は簡単には変えられません。周辺を改めて調査するのは当然ですが、買手は自分の目でエリアを確認し、将来の人口動向や患者の年齢層などをチェックします。
最後は収支です。どんなに素晴らしい理念をもったクリニックでも、収支がともなわなければ、買手にとってメリットがありません。譲渡スキームも含めて、事業評価が適切かどうかをよく確認します。
交渉にあたって、質問にはお互い誠実に偽りなく答えるようにしましょう。
基本合意とは、双方が開示した情報が正しいことを前提に、報酬額とそれに付随する条件を書面で合意することです。
通常、この段階で買手に独占的な交渉権が与えられ、他社との交渉ができなくなります。また、情報に誤りがあった場合には、譲渡価格を修正できる旨などが記載されます。
契約書の内容は個々のケースによって大きく異るため、専門家のアドバイスを受け、意見をすり合わせたうえで決定します。
買収監査とは、基本合意書をはじめとする開示情報が適切かどうかを確認する作業のことで、買手によるデューデリジェンスです。
事業に必要な不動産や資産の権利、各種許認可、法人の場合は従業員や役員、出資者の状況、過去の議事録などが含まれます。
特に簿外債務の有無は慎重にチェックされるポイントです。
買収監査が終了し、事業承継に関する条件確定後に最終契約を締結します。
最終契約書の名称は「事業譲渡契約書」や「株式譲渡契約書」など、譲渡のスキームによって異なります。最終契約書は、基本合意書の内容を中心に、事業承継の具体的なプロセスを記した書類です。
一般的には、最終契約書を締結してから1ヶ月以内を目処に譲渡が実行されます。
譲渡スキームと事業形態
業態別の譲渡スキームについてご紹介します。
個人事業主か医療法人か、出資持分の有無で選択できる譲渡スキームが異なります。
譲渡スキーム
主な譲渡スキームは以下の3つです。
- 事業譲渡
- 出資持分譲渡
- 合併
事業譲渡
1つ目は、事業譲渡です。
事業譲渡は、対象となる資産を売買する契約です。
具体的には、土地や建物、医療機器などの資産を譲渡することを指します。
譲渡対象となる資産は、売手と買手の合意によって決めることができます。したがって、「建物は譲渡するが、土地は賃貸する」という契約を結ぶことも可能です。
ただし、不動産の賃貸借契約やリース契約など、クリニックの経営に関わる契約は譲渡できません。これらの契約は買主が新たに締結する必要があります。
出資持分譲渡
2つ目は、出資持分の譲渡です。
2007年3月(平成19年3月)までに設立された医療法人は、それぞれの出資比率に応じた財産権を持ち、これを第三者に譲渡することができます。
事業譲渡とは異なり、契約行為は法人が行うため、一部例外はあるものの再契約は必要ありません。そのため、法人が所有する資産の他に、カルテや過去の税務処理、労務管理などを引き継ぐことが可能です。
事務手続きとしては、社員、理事、理事長の交代となります。
合併
3つ目は、合併です。
合併とは、2つ以上の法人が1つの組織になる組織再編行為のことで、2つのタイプがあります。
- 吸収合併
- 一方の医療法人がすべての権利・義務を吸収する方法です。なお、吸収された医療法人は消滅します。
- 新設合併
- 2つ以上の医療法人が、新たに設立する医療法人にその権利義務のすべてを移転する方法です。合併は事業承継とはみなされませんが、同時に出資金を手放す場合は、事業承継スキームの一種となります。
事業形態の種類
事業形態は、大きく分けて以下の3つとなります。
- 個人事業主
- 出資持分あり医療法人
- 出資持分なし医療法人
個人事業主
1つ目は、個人開業です。
個人事業主の場合、事業運営に関わるすべての資産は個人が所有しています。
そのため、事業譲渡以外の選択肢はありません。
土地、建物、医療機器などの資産は、基本的に時価で売買されます。なお、のれんやその他の資産は、他の所得と合算され、総合課税の対象となります。
また、個人事業を引き継ぐ際には、行政等の許認可取得手続きに注意が必要です。売手はクリニックの廃止手続きとなり、買主は通常の新規開業と同様の手続きとなります。
出資持分あり医療法人
2つ目は、出資持分あり医療法人です。
この場合、持分譲渡、事業譲渡、合併など、すべてのスキームが選択可能です。一般的には、持分譲渡を選択することになります。
理由は、手続きの簡便さに加えて、対価の一部を役員退職慰労金で受け取り、手取額を最大化できるケースが多いからです。退職金は分離課税であり、一定の控除を受けることができるため、課税額を低く抑えることができます。
出資持分なし医療法人
3つ目は、出資持分なし医療法人です。
持分のない医療法人の場合、残余財産の分配を受ける権利はありません。基本的には、出資金を返還と、役員退職慰労金を受け取ることになります。
譲渡スキームは事業譲渡となります。
事業形態による譲渡スキーム
個人事業主 | 持分あり医療法人 | 持分なし医療法人 | |
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事業譲渡 | ◯ | ◯ | ◯ |
出資持分譲渡 | – | ◯ | – |
合併 | – | ◯ | ◯ |
事業価値の評価方法
M&Aにおける評価方法には様々な手法があり、正解はありません。
売手はできるだけ高い価格を希望し、買手はできるだけ低い価格を希望するという意図を持つのが普通です。そのため、論理的なアプローチで評価を行い、お互いの合意を得ることが必要となります。
事業価値を評価する方法としては、以下の4つがあげられます。
- 時価純資産価額法
- 保有する資産を時価に換算し、負債を差し引いて算出する方法
- メリット:算出が容易で、主観が入りにくい
- デメリット:将来性を価格に反映できない
- 保有する資産を時価に換算し、負債を差し引いて算出する方法
- DCF法
- 将来発生するキャッシュフローの現在価値を算出する方法
- メリット:将来の予想収益に基づいて計算するため柔軟性がある
- デメリット:予想される将来の収益を客観視することが難しい
- 将来発生するキャッシュフローの現在価値を算出する方法
- 類似取引比較法
- 似たようなM&Aの事例を基に価格を算出する方法
- メリット:簡単でシンプル
- デメリット:クリニックのM&Aの事例が少ないため比較が難しい
- 似たようなM&Aの事例を基に価格を算出する方法
- 超過収益法
- 事業が生み出した利益から事業活動に使用する資産から通常得られる利益を差し引いた残りの金額が超過収益であると仮定して、資産の価値を算出する方法
- メリット:算出された値は客観性が高い
- デメリット:将来の収益価値を反映できない ※のれん代を含めることで解決可能
- 事業が生み出した利益から事業活動に使用する資産から通常得られる利益を差し引いた残りの金額が超過収益であると仮定して、資産の価値を算出する方法
それぞれの方法には、上記のような特徴やメリット、デメリットが存在します。
クリニックの評価の最も適した方法として、超過収益法をおすすめしています。
以下では、出資持分あり医療法人を例にとり、超過収益法による評価方法を説明します。
超過収益法による具体的評価例
具体的な評価の流れは以下のとおりです。
- 損益計算書と貸借対照表をもとに、超過収益を計算する
- 超過収益を現在価値に割り引いて、営業権を計算する
- 貸借対照表を時価に修正する
損益計算書から通常の利益を算出する。
役員報酬を適切額に見直すなどして、削減可能な費用を計算します。
法人内の資産からどれだけの利益が生み出されるかを計算します。
売掛金、土地・建物、医療機器などの資産に期待利子率を乗じて算出します。
正常利益から資産利益を差し引き、超過利益を算出します。
超過利益を2~4年の現在価値に割り引いて、営業権を算出します。
最後に、貸借対照表を時価に修正し、営業権を加算することで、出資持分を評価します。